2016.12.16弘法大師 空海さんの手形
こんにちは。
いよいよ今年も残すところ2週間ほどですね。
もーいーくつねーるーとー♪
おーしょーうーがーつー♪ って歌声が聞こえてきそうです。
この時期は毎年なぜかてんやわんや・・・。
あの仕事もこの仕事もしなきゃと思いつつ、目の前のことで精一杯の毎日を送っています。
さて今日は、最近やけに気になる方 空海さんの話題です。
私はある時からなぜか二人の歴史的人物が気になりだしました。
その二人の一人は空海さん、もう一人が竹中半兵衛。
歴史は苦手だし勉強してこなかったので、これらの方については良く分からないのですが、なぜか二人の生き様が気になってしょうがないのです。
まぁそれはさて置き、今日は空海さんに関する話題。
つい先日、江の島の弁財天をお参りをした際に出合ったのが空海さんの手形。
あー! ここにもあった!!
写真撮影は禁止されていたので画像で紹介することはできないのですが、空海さんの手形が奉納されていたのです。
ここにもあったというのは、以前にも大分で空海さんの手形に出合ったので、再会できたことに感激したという訳。
この手形について㏋で検索してみると以下のように記載がありました。
伝空海作 灰像 辯財天
灰像座体(灰でできているもの) 御丈22.5㎝
十五童子の中に弁財天が列しており、空海(弘法大師)の自作と伝えられている。
背面に、左手の御手判があり、その中に
天長七年七月七日
於江ノ島州弁辯天法
秘密護摩
一万座修行
以其灰此形像ヲ作者也 空海
と記してある。
天長七年(830年)の作
これは、宝暦13年(1763年)4月7日、
東町 藤間九兵衛氏より寄附されたものである。
ただし、これが本物(空海自作)かどうかという「真偽」については、未だ謎になっています。
というのは、神奈川県立歴史博物館の話によると、空海の時代(774~835)からずっと過ぎて、江戸時代に、信仰拡大のために形どりをして多数複製され、全国に頒布されたことがあったそうです。そのうちの一つが、江戸時代にこの寺に寄付され現存しているという可能性があります。
鑑定については、大日如来調査の際や、訪問された郷土史家の方などにもついでに見ていただいたのですが、いずれも首を傾げておられました。
江の島の手形は撮影がNGでしたので、大分で出合った灰像 弁財天をご紹介します。
こちらが弁財天。
こちらが空海さんの手形。
なかなか迫力がありますよね。
この手形は。天長7年7月7日に江の島弁財天の岩屋で、人々の真の幸福を願われ一万座にも及ぶ護摩法要祈願を行われた折、その護摩灰で自ら7体の弁財天像をおつくっりなり、片面にご自身の手形を押され花押しを添えたと言われています。
ご興味のある方は、江の島の弁財天に行って見てくださいね。
ちなみになぜ江の島に行ったかというと、とある先生から閏年に代表的な4つの弁財天をお参りすることを勧められたから。なんでも財宝神ならではのご利益があるとか!?
このことはまたの機会にお知らせしたいと思いますが、理屈はさておきお参りしたいという方は、厳島、竹生島、江の島、竹島の弁財天をお参りしてくださいね。
4つ目にお参りした江の島の弁財天でこんな出会いがあるとは、天は粋なギフトを授けてくださるものだと心を弾ませた次第であります。
いつもありがとうございます。
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