2015.04.15信じるということ

信じるということ

週刊事実報道という新聞に、小学生の作文が紹介されていました。
先日ご紹介した池田整治さんのお子さんの作文に続き、子供たちから学ぶ良い機会になればと思います。
「信じる」という行為は、時に自分に都合のよい褄合わせに陥ることがあるかも知れません。そんなことを考えさせられる作文です。

~ここから転載~

「私は、家族が大好きです。家族も、私のことが大好きです。でも、たまに、とても悲しい気持ちになることがあります。
 私のか家族は、いきすぎだと思うほど、私のことを心配します。この前、私はA子ちゃんとケンカをしました。私は、A子ちゃんにいやなことをさせられました。でも、私もA子ちゃんにいやなことをしたと思い、仲直りをしたいと考えていました。
 その時に、お母さんは私に、あなたはわるくないと言いました。A子ちゃんがわるいんだから、あやまらなくていいのよ、と言いました。とてもびっくりしました。なんで、私もわるいのに、私はあやまらなくていいのかなって、そのときに思いました。
 お母さんは、もしかしたら、私のことを信じていないのかもしれない、と思いました。お母さんは、『自分の子供』ということを信じているだけで、『自分の子供だから』という理由だけで、私はわるくないと言っているんじゃないかな、と思いました。
 そのとき、とても悲しくなりました。お母さんは、私という人間のことを信じてくれているのかな、と心配になったのです。私はお母さんの子供だけど、私というひとりの人間でもあります。その私という人間を、ちゃんと見てくれて、知ろうとしてくれて、信じてくれているのかなって、思う時があります。
 最近テレビで、モンスターペアレントという、子供のためにいっぱい怒る人が増えているという話をみました。それを見て、この作文を書こうと思いました。きっとそういう人が増えているのは、子供自身を信じるんじゃなくて、『自分が育てた子供』という、育てたこと自体を信じているんじゃないかなって、思いました。
 似ているようで、すごく違うことの様に感じるのは、私だけではないのではないでしょうか。
 私は、家族が大好きです。だからこそ、家族には、もっともっと、私のことを信じてほしいと思います。信じあうことができたら、きっともっと仲良く、もっと笑顔いっぱいで一緒にいれるんじゃないかなって思います。」

~転載ここまで~

子どもの感性は繊細ゆえ物事の本質をつかんでいるように思います。せっかくそれを親に伝えても、大人の理論で捻じ曲げてしまってはもったいないですね。
子供たちは、大人に大事なメッセージを届ける役割を無意識で演じる存在なのかも知れません。
メッセージをそのまま受け止める素直な心を大切にしたいと思う今日この頃です。

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青木敬司
青木 敬司 (あおき けいじ)

カムナ・プランニング 代表
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